The beginning of Japan's beginning the ASUKA PERIOD

石舞台 ISIBUDAI Tumulus <蘇我馬子様のお墓 Grave of Umako Sogano> 

建造:7世紀初め The early seventh century 

場所:明日香村(ASUKA VILLAGE)



高松塚古墳玄室内に描かれた絵 The picture which was drawn in a coffin-room in an ancient tomb of ancient Takamatsu burial mound、(国営飛鳥歴史公園館内のポスターを撮影)

高松塚壁画館では高松塚古墳内の石室のレプリカ、副葬品のレプリカなどを拝見することができました。石室天井面には直径1cm程の円形の金箔が夥しく貼られ、星座を示すためか朱線で線引きされており、満天の星空が描かれておりました。又、東西南北の壁面にはそれぞれ勇ましく四神(青龍、白虎、(朱雀)、玄武)が描かれ、その神々の間の4か所に4人の着飾った男性及び女性の絵が描かれていました。副葬品としては、装飾の施された美しい大刀のパーツ、海獣葡萄鏡のレプリカなどを拝見いたしました。葡萄鏡の縁側に葡萄の房があり、数えてみると16房ありました。



飛鳥寺 Asuka temple:

千四百年前、大陸では遂に隋という巨大な統一国家が誕生し、我が国は、その大国に呑まれる危険が迫っていた。外交面では、隋との早期の外交関係の樹立や朝鮮諸国との適正な関係の構築など喫緊の課題を抱えていた。国内の軍事、行政及び経済の近代化の立ち遅れも甚だしかった。仏教は異国の宗教であり、その導入を国の立場で公式に認めるか否かに関して保守派と革新派の対立の激化なども起こった。蘇我馬子様は大臣であると共に、大陸文明や文化、宗教の国内への普及を大いに推進された。物部守屋様はこの国の古来からの宗教を強く信奉され、国の軍事を司っておられた。推古天皇は仏教を信仰され、この国初の女帝となられ、統治の多くを聖徳太子様に託された。聖徳太子様は仏教を信仰され、政治につき、際立った才覚を発揮された。特に制定なされた十七条憲法や冠位十二階は国の骨格となり、現代の日本人が温和な人間関係を形成する特質や日本人の礼儀正しさの源の一つともなっているかもしれない。和を以て貴しとなす。

飛鳥寺の大伽藍の完成は日本最初の本格的仏教寺院の誕生となり、蘇我馬子様の長年の夢の実現となった。又、この飛鳥寺は日本が近代文明国となった証となり、諸外国との外交、交流も活発化する。このような中で隋との外交関係の締結や国内での仏教文化の普及に寄与することとなった。その後、飛鳥寺は時代の変遷の中で崩壊を続け、江戸時代に一部が復元され、現在はかつての20分の1のサイズにとどまっている。五重塔などは再建されていない。寺の運営資金は主に参拝者の拝観料によるとのこと。

平成28年5月26日及び27日 明日香村訪問

明日香村に行けば、飛鳥時代の立役者達が今も生きているかのように、歴史の探訪者達に篤い思いを伝えてくれる。茶店で草餅を食べるのも又楽しい。江戸時代に創業したというある酒屋(かつては造り酒屋だったとのこと)では飛鳥という酒が売られていた。博物館と軒を連ねて、明日香村の農産物を販売する大型の店舗もあったりする。

見て思い、食べておいしい、明日香村でございました。

※たまたまですが、偶然に、この度の明日香村訪問が伊勢志摩サミット2016の開催日と同じ日程だったこともありますので、これは何かのご縁でございますので、飛鳥と伊勢志摩の歴史的なつながりについても後日ご紹介いたします。お楽しみに!



国営飛鳥歴史公園石舞台地区、高松塚周辺地区、甘樫丘地区撮影許可:

国営飛鳥歴史公園

公園管理者

近畿地方整備局長による